2007年01月29日
Diamond Diary 54
日々の出来事をありのままにつれづれなるままに、つづっていきます。
あと何年生きられたら満足ですか?
つくづく思う。
生きているのではなく
生かされているんだ、と。
毎日、いろんな自分で生きている。
例えば昨日の日曜日。
朝早く、かわいい女友達が来客。
彼女に これぞ日本の朝ごはん、というのを提供したくて
前夜トン汁を作っておいた。
鮭を焼き、油揚げをちょっと美味しく焼いたりして提供。
そして、お出かけの彼女のメイクをさせてもらう。
・・・何もかも好きなことでテンション上がる。
私はこういうとき、田舎のおばちゃん風になる。
あれ食べる? これ持ってく?
高らかに笑い、彼女を送り出して、今度は次男を起こす。
お母さんの顔になる。
心身の状態を、ささっと母親独特の感覚でチェックするように感じる。
そして朝ごはんをだし、支度を見守り、塾へ送る。
送ったあと、亡くなった子供のお墓参りに行く。
ここは、私にとって特別な場所。
一人の人間になって、自分と向き合える。
お母さんの顔、というよりは多分、美醜混在の生身の人間になる。
ここでは何もかも、白日の下にさらされるから取り繕う必要がない。
亡くした子供の夢をみなくなっていることに気づき号泣。
なんてひどい母親なんだろう。
つらすぎて、他の事を考えるように努力してきた。
このごろはそれも、あまりしなくなっている。
あんな苦しみと悲しみすら薄れている現実。
一人で逝った子供をこんなに簡単に忘れかけていくなんて
軽薄で冷酷で嫌な人間だ。
想いは様々なことへと波及する。
年甲斐もなく、人の気持ちがわからず傷つけてしまう日々。
鈍感になっている強者の自分。
生きていることを『生き恥をさらす』という戦争体験者の言葉があるが
そんな気持ちが少し湧く。
次々と自分を責める矢が刺さる。
いたたまれなくて、一転、自分を許し始める。
そういうことがあるから、まだ生かされているんだ。
涙がばりばりになって痛い。
瞬間、こんなじゃ肌が荒れる、とよぎり・・・苦笑。
午後は人に会い、仕事の相談、コーチングセッションがある。
そんな時は、元気で颯爽としたコーチの顔になる。
どれもこれも本当の自分。
自分を愛していない、と言う人がいるけれど
それは、どうなんだろう?
好きなところ、きらいなところはいくらでもあったりする。
だから、かわいいと思う時もある。
なんといっても一番長く一緒にいるのが自分自身だから
丁寧に向き合えば、いろんなことを感じることができる。
自分がわからなくなっても、それは、見ないようにしたり
否定したりして、わからなく麻痺させているだけだから。
ゆっくりゆっくり向き合えば、必ず自分をわかるし
自分を愛していることを知る。
恋を薦めている。
「みなさん、恋をなさい」と平気で言う。
けれど、そもそも恋なんて、しなさいと言われてするものじゃなく
ストン、と、またはじわじわと 落ちていくもの。
なのに、恋をしなさい、と言って回るのは
命を輝かせてほしいんだな。
恋をして どきどきして、泣いて笑って、死ぬほど傷ついて、
人の優しさにも、冷たさにも触れ、孤独と自由を知る。
生きていることをしっかり感じて、枝葉を伸ばせる栄養には
結構、恋は最適だと思っている。
でも、恋じゃなくてもいい。
人と真剣に関わってほしい。
どのくらい生きる、よりも、どう生きるか、を大切に思う。
100年あっても、10年でも 1年でも、半年でも。
どう生きるか、は親でも子供でも伴侶でも
決めることは出来ない。
あたりまえだけれど 本人の責任において
幸せであることをあきらめてはいけない。
気持ちよく自分を大切に楽しく生きよう。
わからないながらも、人の気持ちを
わかろうとしてもがきながら生きよう。
土曜日、髪を切った。
さっぱり、きっぱり。30cm。
何も変わらないけれど
せっかくなので
切るときにイメージしてみた。
粘着力の強烈な私のいやなところ。
これ見よがしなおせっかいな、じつは刃物の親切心。
・・・これを切り離したい。
切り離したい。
カラダを切り離すことは難しいから、髪に祈りをこめて。
長年連れ添ったこの性格なので
そう簡単ではないと思うけど、意識をぐっと入れた気がする。
待つことを、見守ることを覚えよう。
それが相手を信じることだとやっとわかった。
生き恥をさらしながら
生かされている命を
感謝して、磨いていこう。













