Happy Communication
今朝、コーチとのセッションがありました。(私がクライアントです)
夕べから テーマを感じてみると、まだ気が早いけれど1年の振り返り。
【反省も含めて、見落としているギフトがないか、ゆっくり感じてみたい】
そんなことが浮かんできました。

木の根が地中のいろんな栄養をからめとっていく感じ。
物事の意味を味わい尽くしたいという貪欲な価値観が出ている。
高い山から振り返ってみると・・・どんな所にハイライトがあたっている?
何かの出来事というよりは、人との関わりにおいて、
自分にyes/noを言えるようになったこと。
とことん関わり、違和感を伝え、ごまかさない姿勢で向き合った。
その反面、浅いところで関わる人には、その浅さにもOKを出してきた。
その場しか関わらない人もいるからこそ、その場で精一杯関わった。
そして、人間関係に執着しないことを覚えた。
・・・そのことがいちばん大きな変化であり、収穫だったと感じる。
1月から、ざっと出来事を振り返ると、学びにおいても仕事においても
驚くほどよくやってきた。秋ころまでは必死な感じ。
そしてここ2ヶ月ほどはリラックスして身を任せ、幸せの方向をしっかり
確認した感じがする。
それから『小さな大丈夫』を手放して『大きな大丈夫』を手に入れた。
つまり、自分の弱さを受け入れることで、もっと大きな安心を手に入れた。
「私ちっとも大丈夫じゃない」とさらけ出すことで、
受け止めてくれる人の愛を感じられるようになった!
もうひとつ、とても大きな変化は・・・
自分に沸き起こる全ての感情と様々な自分を受け入れるようになった。
素の自分。
いろんな表情を持つ、多面体。
愛に溢れた私。人をさげすむ私。遠慮がちな私。我の強い私。幼い私。
かわいい私。頑張りやの私。怠け者の私。ノリのいい私。冷めた私。
清純な私。下品な私。男っぽい私。とことん女の私。賢い私。あほな私。
気の利かない私。気が利きすぎる私。責任感の強い私。無責任な私。
心配症の私。脳天気な私。
全部私の中にあって、そのどれかを演じているわけではなく
全部が自分そのものだと素直に認められるのがすごい進歩だと感じる。
以前は、真面目できちんとしていない自分はよくない、と信じていた。
人には常に優しく、おおらかにあるべきだ、と強制してきた。
そして、そうでない自分は自分じゃない、と否定し続けてきた。
今の自分はものすごく変化している。
案外そのまま自分の感情を感じたり、受け入れるって難しいこと。
でも、これが出来るようになると、あまり怖いものがない感じ。
何が起きても、どうあがいても、そう感じる自分がいるだけで
それも永遠に続く出来事なんてないから、過ぎていく。
そのあとでどんな自分がいるのか好奇心が湧く。
思ってもいない不幸な出来事だって起こるだろう。
その時、だめになるならだめになればいい。
無理に平気でいることなんかない。
とことん泣く。
関わる人にもそうさせてあげたい。
泣いている人がいても、無理に笑わせたりしない。
とことん泣かせてあげる。
苦しんでいる人がいても、助けたりしない。
とことん苦しみを味あわせてあげる。
ただ、そばにいるだけ。
感情は代わってあげることは出来ない。
その人だけのもの。
途中で打ち切ったら、ずっとくすぶり続ける。
その感情をとことん味わせてあげることが使命だと感じる。
(とことんってなんか可愛い響きなのにすさまじい意味を持つな〜)
人の身体は錆びていくけれど
気持ちは錆びることなく、どんどん変化してく・・。
新しい自分、新しい夢。
こんな自分になった今、挑戦したいことは、
意識的に人と関係を作っていく、ということ。
これまた漠然としているけれど・・・。
根底にある想いは 『一期一会、出会いを活かす。』
そして
『今在るものに感謝と幸せを感じつつ、今在るものに執着しない。』
今在るものという対象ありきの幸せは、それを失った時に変化する。
だから、常に柔軟に幸せを求め続ける。
もちろんそれは全員が違うもの。
「変わらないものなんて何にもない。」
そう感じた時、永遠とか普遍なるものって何だろうという問いが湧いた。
この答えは簡単には見つかりそうもない。
きわめて 今とても心地よい状態にいるけれど。
あえて課題を探してみると・・・
『焦りを手放す。』
前ほどではないにしろ私は結構頻繁に、物事を焦る。
焦っている時の身体の感覚はどうだろう?
両耳の上あたりから頭全体にじわじわ血が上っていく感じ。
腹の底は空っぽな感じ。
イラついて、ざわついて、大切なものを見落としていそう。
どうしたいか、感じてみると・・・・
焦りを手放すことで、ゆったり、変わり行く流れを楽しみたい。
ゆったり、ゆったり 後で味わうのではなく
その時その時を味わい尽くしながら進んでいくイメージ。
そう、悠久の川の流れのように。
通る道ならばいつか通る、くらいにゆったり構える。
(イメージした川はなぜか雄大なチグリス川だった。)
川をイメージすると 焦りがすっと消えていく感じがするので
仕組みとして心にインプットする。
常にゆったりを流れを止めることのない川。
何処から来て、何処へ行くのか・・・。
永遠、普遍の問いの答えではないものの
今までも、これからも、何かに導かれてここにいる気がする。
それはなんだろう。
光?
希望や夢。
自分が輝く
みんなが輝く。
光の方向に向かって、道を選んできたかもしれない。
そう、人生には光がある。絶望なんてない。
光はみんな持っている。
犯罪者だって、本来は光を持っているのに
覆い隠すものが強くて大きかっただけなのだと感じる。
一人では、その光を見出すことができなかったに違いない。
もし、人生のどこかの時点で、光を感じられたら・・・。
出会える人は限られるけれど、めぐり合った人には
その人の光に気づいて欲しい。
光を邪魔するものを見つけて、どけて、輝かせる。
それがこれからの夢。
出会いを活かす。それも、私だけが一方的に頑張って
「私に任せて!」っていうのではなく
お互いに協力して建設的な相乗関係を作る。
そういう役を頂いて、今ここにいると感じる。
どういうふうに・・・はゆったり探しながら、実現しよう。
そんな私をコーチはコメットさんみたい!と言ってくれた♪
【ふれあいを大切に】と始まった2006年の締めにむけて
自分と十分向き合えた朝のひとときでした。

何度も紹介しているけれど、どうしても再度紹介したい言葉。
光る 光る すべては光る
光らないものは ひとつとしてない
みずから 光らないものは
他から 光を受けて 光る
【坂村真民(さかむら・しんみん)】
明治42年、熊本県に生まれる。90歳を超えた今もなお、
仏教精神を基調とした人間に対する深い自愛に満ちた詩を
作り続ける祈りの詩人。


コメント一覧
素敵なマイペースですね!人間関係にyes・noが言えるって見習いたいです…。
投稿者: minako | 2006年12月01日 10:53
minakoさま
ありがとう。
マイペース、やっとコツをつかみかけました。
だてに長く生きてないから?(笑)
投稿者: AYA | 2006年12月04日 12:50